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2025年11月8日

人間が人間らしくいるためにはとかそんな大層な疑問はザックのリュックの底に突っ込んだまま、相変わらず自分が敷いたハードルを飛び越えようと股関節を痛めてる。
MotionRecも無事世に出た。書きたいことや思いは色々あるのだけど、今だ自分は尾根伝いに登山をしていて下山の文字は遠く彼方に浮かんでるような気持ちだ。

両手で斜面の土を握るとき、これは自分のためなのか周りのためなのか時折分からなくなるときもある、孤独について考える時、社会と自分の距離を考えるには自分の声だけに耳を傾けるのではなく社会のノイズについても耳を傾けるのが良いらしい。自分は大抵引きづられがちだけど。

多分それは自己満と共感の違いなのかもしれない。人と心を動かす何かを分かち合うというのは答え合わせをしあう様な関係ではなく、同じ方角を向いてそれぞれの頭の中で小さなスペースを育てられる様な関係性、そんな距離感がちょうど良いんじゃないかと思う。

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2025年10月12日

池袋PARCOの浮世東京のポスターを見てタカセの喫茶店でサバランとアイスコーヒーを頼んで目が覚めた。

Notionを漁ってると先月参加したシブヤピクセルアートのトークセッション“映画「ファイナルリクエスト」が出来るまで”の本番に向けて前もって備えていた質問の回答とかがまとめてあって、
ああ、これはこのまま電子の束の中に眠らせてくおくのは勿体無い。
この時の自分はこんな事考えてたんだという忘備録代わりに載せておく。

☕️

制作に参加した経緯を教えてください。また、参加した時の作品の印象はどのようでしたか?

日下さんと出会ったのは2016年頃にたかくらくん(たかくらかずき)が主催したピクセルアウトという展示でお会いした。
その時の展示もファイナルリクエストだった。なのでその時の感想を言うと、ファミコンの色数制限に絞ったグラフィックを描かれているだけでなく漫画という媒体で物語を作られていて純粋にすごいなと。。今でこそメタ的な視点の物語は多いけど、当時はまだUndertaleみたいなゲームもまだ日本で知られていない状態だったと思うので斬新だったと思う。
(また、当時制作したPulseFighterのMVをハードの再現性の視点で褒めて頂けてとても嬉しかった記憶)

映画内に出てくる「プログラム領域」のデザインについて、
一般的なプログラムのコードや具体的な物理空間のイメージを
どのように取り込んでデザインしたのか?

プログラム的な世界観に関しては元々自分は昔バグをテーマにしたゲーム(BUGTORNICA)を出していたことがあって、そのゲームは主人公の視界がバグって世界を構成する要素が記号や数字の羅列に見えるという内容だった。
ファミコンなど古いゲームの作り方でマップチップやタイルを並べて大きな絵を作る手法があってそういった世界観がその作品の根底にはあったので日下さんからプログラム領域のブロックというオーダーを頂いた時はすぐにイメージを理解できた気がする。
デザインの方は当時のメール(※実制作はコロナ下の2021年頃)を見返してみると古代文字をベースに機械やSF感の要素を足して○△◻︎のシンプルな図形(このあたりは私は真吾の影響もあるのですが)をイメージして打った形です。

ドット絵の表現が多様化する中で、『ファイナルリクエスト』のドット絵表現はどういった位置づけや意味を持つと考えますか?

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2025年8月23日

「スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険」

以前Xで南村杞憂さんのポストでこの本のことを知り、最近は寝る前に少しずつ読み進めている。

まだ半分くらいまでしか読んでないけど、
・孤独(自分との会話ができる空間、時間)の必要性
・寂しさ(SNSなど人の多い場で繋がる事で感じる孤独)の危うさ
・創作を通じ内なる他者を育てること
そのあたりのことがワシャーと入ってきて頭の中がわーっとなってる。

携帯でネットする時代だったらまだ孤独の世界だったのにね。
昔は良かったみたいな事は言わないけど、
今は人の心が他人の手のひらの上で、満たされない渇きを延々と与え続けられている様な時代だなと思う。自分はその飢えに抗いながら墓標の前に立ち冷たい土の中に埋まったもう1人の自分をスコップで掘り返している。

フィリンピンに住むとある困窮邦人の人生を追ったドキュメンタリー。老齢に差し掛かった当人の恵まれた人間関係、そこには金銭や地位とはまた別の豊かさを感じる。
そこには実年齢より老け込んだ母と反対に若々しさがある父、社会とのコミュニケーションの有無によって生まれたであろう対比を思い出したりもする。

避けられない老いを将来自分はどのように受け止めるのだろう。
少なくとも内側と外側、両翼のコミュニケーションをうまくとって豊かでありたいと思う。

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2025年7月16日

AIってなんだろうね。AIってすごいね。でも、すごいってなんだろうね。すごいとそれが何になるんだろうね。一体なんだろうね。

多分だけど、そんな時代になってくると思う。

すごさが均一になって当たり前になる未来。すごさが記号になる未来、その先に何が残るんだろう。

この間縁があってGoogleのGeminiを用いたクリエイティブの講習会に参加した。
大半の人はディレクター的目線(どういう空間で何がどう起こるか)に対し自分はひたすらディテールに凝っていた。
生成結果は前者はうまくいくけど後者はうまくいかない(感覚的なプロンプトは解釈結果が多岐にわたるし求める答えにも好みが反映されるからかも)。

Geminiまんじゅう

例えるならば皿の上に乗った豆腐を爆発させたり宇宙空間に飛ばしたり喋らすることは簡単だけど、豆腐をドット絵表現としてピクセルアーティストを唸らせる様なディテールで描くことはまだ難しい。

AIは何かを起こすことは得意でも、存在を形にするのは難しいんじゃないかと思う。存在しているように見せることは出来るけど、存在させることは出来ない。

存在ってなんだろう。多分、自分は、考えて間違えてそれでもまた考えて生きる、迷ったり遠回りしたりするそんな手垢のついた軌跡が存在としての輪郭を持つのではないだろうかと思う。

人間全体の共通認識としての正しさより、自分が受け取って組み合わせて考えて解釈した正しさに価値が生まれる。
それはきっとどこか信仰めいたような、まるで宗教の教えを作るような形に近い。

ネットにはこれから益々「〜のようなもの」が溢れて人の痕跡は見えなくなるだろうし、
そんな虚構に満ちていく世界の中で「信じる」という行為自体に意味がある世界がやってくる。のかもしれない。

いや、言い切るか?…来るぞ!


***

おまけ
Geminiと深夜トークして作ってもらったpongゲーム

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2025年7月12日

ここ数年はAirPods Proを耳に差し込むと右側からザーッという滝の音が聞こえる。運が良ければ止まる。最近は雑音の隙間から「タスケテ~」ってガラガラに萎れた男の声が聞こえる。ごめんな〜助けられないんだ。って頭の中で反芻しながら指で軽くイヤホンをはじく(運が良ければ止まる)。
ノイズキャンセルしたいのにノイズしか入ってこない。

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2025年5月18日

5月に入って誕生日を迎え歳をとったわけだけど、ここ最近はずっと自分に対して時間を使う事がまじで無い状態というか、そういう時間を他のタスクを跳ね除けて意識して取らない様にしないといけなくてそれがじわじわとしたストレスになっている気がする。

「やりたいこと」と言っても色々あって、例えばそれはストレスの解消だったり享楽的な行動もあれば自分の引き出しを増やすインプット的な未来に繋げる行動もあるけど、その中でも登山のように過程が”重たい”やりたいことがある。それが自分にとってはGriptureのようなゲーム開発だったり、自分だけの感覚に向き合ったイラストだったりするのだけど、そういう時に未だに自分は「他人を犠牲にしてまで自分を優先していいのか」と感じてしまう。
捉え方の角度を変えればまったく問題では無いはずだけど、自分の性格として骨身に染みているんだと思う。
本当にもうどうすればこの性格を矯正できるか分からないので新聞のお悩み相談にでも投書すべきなのかもしれない。

だからええと、そういう部分は全然出来てないんだけど人生はそこそこまあちゃんと楽しんでる。
Y2Kぬい展でVJをしにきた際に三河島のネパール料理屋で食べた事のない料理にトライしてみたり突如大阪万博に1泊2日で行ったりタイフェスでヤードムを買い漁ったり友達と高田馬場でミャンマー料理を嗜んだり。なかなかグローバルな体験をしてる。
大阪万博も来場が増えているみたいで今のタイミングで行けて良かった。null2の臨死体験、アオと夜の虹のパレードの迫力、オマーン王国のコーヒと焼き菓子の味とか、コモンズエリアの多様な文化とか今でも舌の裏に残っている感じ。

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2025年3月31日

人生って何があるか分からないけど、まあ必ず訪れるだろうなということもあって。つまりそれは母親が高齢になって倒れて入院したという話と実家の掃除の話。

うちの家はかなーり特殊でそれは主に母の特殊な性格からくるものだったんだけど、昔はいろいろと社会の常識が外と中の世界でかなり違っていて幼い頃はその外の社会に接するのにかなり苦労した。
その一例を挙げるならば、うちの実家はいつ使うかも分からない紙やビニール袋、服、食器、手紙や書類など、いわゆる”モノ”が至る所に溢れたモノ屋敷だ。

これは自分が実家にいた頃から悩まされていたことだったけど、久しぶりに足を踏み入れた実家の居間がまるで動物の巣のようになっているのを見て、状況は自分たち兄弟が家を出てから更に酷くなったのだと思った。

今までその事については(本当に)気が狂うほど説得をしてきたけど、本人に片づける意思が無い以上、そして家を出た自分には直接の影響はないので「自分のテリトリーの中で好き勝手にやるのは本人の人生だし自由にしてくれ」という気持ちだった。
しかし母が倒れ、そして以前とは同じ生活を送れなくなる可能性が高くなった今、残酷な話だけど終わりを意識しなくてはならなくなった以上、残される者は家に残された"モノ"について向き合わなくてはならなくなった。

本音を言えば正直自分でやれよと思うのだが、これは同じく高齢(だけど「分からねえ」と言いながら電子決済を使いこなすバリバリ元気な)父親のこともあるし、親孝行の気持ちもあり弟と共に向き合う事にした。
ちなみに弟は母親が倒れたときにいち早く実家に向かってくれたしその後の状況整理や対応にあたるべきことを先導して行なってくれている。つまりバリバリ頭の回転が早くて出来る人間で自分は頭が上がらないことも付記しておく。

色々長くなったけど、今、自分は生まれてから何十年も禁忌とされていた、長年触れたくても触れられなかった「モノの地層」、実家の積み重なった記憶に手を入れている。

正直その作業が結構心にクる。土埃に塗れたモノの地層の中に遠の記憶の彼方に捨て去ったはずの幼い頃に触れていた数少ないおもちゃとかが出てきたり、覚えたつもりのないちょっと変わったデザインの鉛筆が出てきたりする。それらが心の深淵に釣り針を引っかけ、当時の記憶を強引に引きずり出す。

…はあ、なんとか世間に追いついて人並みに生きるのに精一杯だったな。胸が締め付けられる。

当時はそういった「外と中との違い」でいじめを受けることもあった。けど、後々対等となる努力を行うと別に彼らは特別な悪意はなくてただそれが面白くて、無邪気な娯楽みたいに行なっていたんだなって気づいた。
自分たちと違う事を区別していただけ。未知でよく分からない対象を自らの主観したドラマの中で適役な役柄に当て嵌めていただけなんだって思う。お陰で人は状況によって簡単に善にも悪にもなるという感覚を幼い頃から肌で覚えた気がする。

片付けを進めていくと、両親の自分たちが生まれる前の若い写真を初めて見ることが出来た。父親はパーマをかけて厳つい姿をしていて、母親はびっくりするくらい美人だった。
人の人生って生き方ってどう後年に影響を与えるのだろう。母親より年上の父は今も若々しく、逆に父親より年下の母は実年齢より老け込んでしまったように思える。

その生き方を形成する影響に自分や弟の双子としての存在があったとしたら申し訳ないとも思う、…思うけど、生まれたくて生まれた訳ではないのでしょうがない。生まれてしまった以上、命を正しく使って生きたいだけで、今は子として母の存在に向き合うだけだ。

最近ふと、道徳の授業って何やかんやそんなに言われてる以上悪くなかったよな〜と思うことがあって、どんなことを習ったっけ?と文科省のページを見返してみた事があった。
節度、節制、自律、責任、そして自由について書いてあって、大人になった今でもそれは新鮮でもう一度学び直した方がいいのではないかと感じた

たとえば好きな時間に寝たり起きたり、身なりにも気を使わず、適当な食べ物を食べて過ごしたりする、一日中好き勝手に自由に生きる…でもその好きなことって本当にこの世界に生まれてきてやりたいこと??って思ってしまう。

節度や自律や責任って不自由に見えるかもしれない。けど、それを無視して好き勝手に生きる自由は世の中に用意された欲求や刺激を選ばされているだけの状態であって、本質的には自由じゃない。
自分にはその消費が絶望に見えて、自分が理想のために向き合わなくてはいけない問題や課題から目を背け、心の隙間を埋めている状態なんじゃないかと感じる。
だから節度や自律や責任を自分で持つ事は自分の人生をコントロールして自由を得るための大事な手段だと思う。

母の場合はどうだろう?正直、少なくとも責任は持ってないな…。
日に日に意識がはっきりして、入院当初のしおらしさは消え、普段と変わらずの傍若無人ぶりを取り戻す母の姿を見て、良いのか悪いのか(まあ健康になるのはいいんだけど)、複雑な気持ちになる。

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2025年3月1日

振り返り💭

  • 仕事の内容によっては作ることに集中できる環境を整えるのに手間がかかり、その負担が生活ややりたいことを押し流してしまう。

  • でももうそういうのはいつまで経っても慣れないことなのかもしれない。

  • 思う様にいかないストレスが溜まると短絡的な報酬系に走りがち(SNSやネットをダラダラ見たりとか)

  • これに身体的な疲労や寝不足が重なると食事とか不摂生につながってどんどん寿命が短くなっていくんだろうな

  • 負のルーチンにならないよう気をつけること!

  • そしてベストを尽くす。尽くした。

  • ゆらり揺らめいてそう、私はダンシングドール

  • 次のコミティア次出るかもしれない(内容は期待しないで)

  • Unihertz Jelly Maxのジャイロが急に壊れてカメラ撮影すると必ず上下逆に撮れるようになった (不具合はあれどUnihertzはちゃんと交換保証に応じてくれるしっかりしたメーカーというのは書き記しておきたい。)

ジャイロが死んだ
  • で、なんかもう勢いで新しいスマホ買っちゃった。(Motorola razr 50 スプリッツオレンジ)

折り畳んだまま使おうと思えば使える
  • ボディの質感がよくて昔使ってたMEDIA SKINという携帯を思い出す。黒とオレンジの感じも含めて。

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2025年2月2日

「寒さって、年が明けてからが本番な気がする。」
年末に手に入れた強強なタイガーの湯沸かし器のおかげで、白湯が爆速で作れるようになった。こんな寒い日が続く中、寝る前によく飲んでる。
五臓六腑に染み渡る感じがたまらない。なんとなく、寝つきも良くなる気がする。本当にそうなのかは知らない。調べてないし、知ったところで何の役に立つのかとも思う。
今も、今までも、そしてこれからも、きっと、思い込みのフィルター越しに世界を覗いているんだろうと思う。

1月は2x4で有孔ボードの棚を作ったり、友達と浅草の寄席を見たり、台湾の煮卵を作ったり、ドッターの新年会でタコスを食べて、muqueのライブを生で見て弟の家の犬に舐められたり。なんだかんだよろしくやってきた気がする。

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