Diary2026/06/21M7-REF:note-n08c024da79d2

pxl.deck - お気軽ドット絵ライブペイントVJ

💡お、そや!VJ素材を増やすならVJが出来るソフトを作ろう」
休日の寝起きの頭にそんな考えがよぎってpxl.deckは生まれた。

(VJイベントを控えた手前)時間を掛けて開発するに訳にもいかないので 今回は試しに要望と理想だけを丸投げて文字通りバイブコーディングとして作ってみる。
意外にもそれっぽいものが出来たんだけど、結局なんだかんだで気に入らない部分を直す度にバグを誘発して四苦八苦するので意外に時間が掛かってしまった。
拡張性を大事にするなら初回の設計(何がどうなって動くのか)は大事だと思う。※

※ とかそんな事言っても数年後はどうなるか分からない。ただ一つ言えることは他人(AI)の正解に引っ張られても何の意味もないということ。お前の内臓を曝け出し、抗え。

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Diary2026/05/27M7-REF:note-na50307237556

ロクジョーヒトマリブートにあたって

ロクジョーヒトマを作っている。
昔出した携帯電話の作品、なぜまた作り始めたのだろう。

3月下旬、MotionRecのThe Strong National Museum of Playでの展示遠征や、Switch・PS5版の発売準備を終えて、自分のやる作業は少し落ち着いてきた。

そんな中でこれからまた何を作ろうかと考える時間が増えてきた。
テクノロジーによって人が人を必要としなくなってしまうんじゃないかという漠然とした不安、現実味を帯びてきたクリエイティブの変化。
すごいという技術だけでは難しい、そんな時代が来ているとひしひし感じている。

理屈抜きにすごいと思われる事は誰でも出来る、出来るというか「誰でも出来るように見せる」ことが可能となった。

タイムラインに途切れる事なく溢れる驚きや興奮に自分はもう脳を焼かれてしまってる。

終わらないキャンプファイヤーみたいにギラギラと炎は燃え続けていて、その熱に当てられ続けて炭化する前に自分は何を大事に思う事ができるのだろうと考えるようになった。

なったというか、ただ、これはAI云々以前から感じていたことなのかも知れない。 イラストレーションの仕事だって代わりのいるような仕事ではなく自分にしかできないことを魅力にしなくてはと常々思っていた。

何がクリエイティブとして残るのか。
おそらく人間らしさ、その個人を象徴とするらしさ。手触りや偏愛やそして物語だろうと思う。

人は何を大事に思う事ができるだろう?
自分にとって特別だと思えるもの、手のひらの中の価値観、そして形に出来ないもの、簡単には他者にその価値を伝える事ができない、伝えようにも沢山の試行錯誤が必要となるような手探りの過程じゃないか。

それは信仰と言えるかも知れないし小さな祈りの様なものだと思う。

自分は自分の外側にあるものに対して一喜一憂して感嘆して感情を消費し続けていたくない、感情は消費するだけの物ではなくて育むものだと思う。

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Diary2026/04/25M7-REF:note-n13c5d646dcc3

2026年4月25日

※この日記はAIによって書かれました。

日記:2026.04.25|更地の上の生存証明 —— 南千住・上野、歴史と技術の断層にて

0. 境界への迷い込み
上野を目指すはずが、正反対のバスに乗る。この「車線の間違い」という些細なエラーが、コンクリートで塗りつぶされた街の深層へアクセスする鍵となった。

1. 塗りつぶされた地層 —— 都市の「蓋」としての風景
そびえ立つ整然としたマンション群。その清廉な街並みは、かつての刑場や投げ込み寺という過酷な歴史の記憶を、都市が物理的に守り、そして静かに覆い隠そうとする「祈りの蓋」のようにも見える。
•  無宿人(むしゅくにん)という不在:江戸の「人別帳(戸籍)」というシステムからこぼれ落ち、透明化された人々。彼らは存在しないことにされたまま、この土地で命を終えた。
• 断絶による再生: 都市が価値を更新しようとする際、過去を継承するのではなく、一度「更地」にしてから上書きするという手法を選択せざるを得なかった。この機能的な静けさの中に、今の都市が抱える「無機質な寂しさ」の正体を感じてしまう。
※今そこにある人々の生活そのものを否定したいわけではない。人が暮らし、時間が流れ、新しい景色が生まれるのは大切なことだと思う。

2. 倫理の力学 —— リソースとしての「人権」
かつてこれほどまでに軽んじられた「命の重み」が、現代では絶対的な「人権」へと変わった。しかしそれは本当に人道的な進歩だったのか。
• 国家の最適化: 富国強兵、あるいは高度経済成長。国が「人の数」というパワーを必要としたとき、差別や格差は「非効率なコスト」になった。
• OSとしての平等: すべての人間を「均質で使える資源」として管理するために、平等という名のOSが配布された。私たちが享受してきた権利は、国家が人を必要とした時代の一時的な「契約」だったのではないかという疑念がよぎる。

3. 足音 —— 人を必要としない世界の到来
テクノロジーの台頭により、力を持つ者が「人」を必要としない時代が近づいている。
・アルゴリズムによる意思決定は、個人の葛藤を「エラー」として排除する。
SNSのタイムラインが、個人の多層的な思考を無視し、効率よく「共感」か「対立」の二極へ振り分けるように、システムの最適化にとってノイズとなる人間の揺らぎ(迷いや曖昧な感情)は、最初から(多くの人達にとって目に見えない)存在しないものとして処理されていく。
・自動化・効率化の極北:仕事という「生存権」の喪失
かつては人間が行っていた高度な判断や肉体労働がAIやロボティクスに置き換わることで、「人間であること」自体がシステムの最適化を阻むボトルネック(停滞要因)へと変質している。力を持つ側にとって、教育コストがかかり、心身の不調を訴える人間は、もはや維持すべき「資源」ではなく、排除すべき「負債」になるのではないか。
• 「新しい無宿人」の誕生
システムにとって不要となった瞬間、人はデジタル的、社会的に「透明な存在」へと押し戻される。江戸時代、人別帳を外された者たちが歩んだ道を、私たちは高度なテクノロジーの下で再び歩み始めているのではないか。

4. 抵抗のバインミー —— 非効率な個の肯定
上野の雑踏で食べるバインミー。

効率やパワーバランスからすれば、乗り間違いも、歴史への感傷も、このパンの味も、すべては「非効率なノイズ」に過ぎない。しかし、そのノイズこそが、システムが塗りつぶそうとする「更地」に楔を打ち込む。

結論: 世界が「人を必要としない」方向へ向かうなら、自分は「自分を必要とする」ために、この手触りのある違和感を記録し続けなければならない。



【追記】
この記事を書いた後、処刑場が廃止された明治初期から現在に至るまでの土地の歴史を改めて調べた。

1873年の廃止後、この地にはまず鉄道による上書きが起こった。1896年の駅の開業。跡地を分断するように線路が敷かれたことで土地の役割は「交通の要所」へと再定義された。

1896~1909年頃(出典:今昔マップ on the web )

昭和に入ると、隅田川沿いの工場を支える職人や労働者が集まり、木造住宅の密集地が形成された。当時の航空写真からは下町が土地を埋め尽くしていたことが分かるが、同時に火災や震災への脆弱さという課題も抱えていた。

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Diary2026/03/22M7-REF:note-n8fc1761047e1

「MotionRec」がNYの世界最大級の遊びの博物館に展示された話

「行けたらいいね」
仲間内で話してた絵空事が現実になり実際に空を飛んでニューヨークに行ってきた。
自分達の作ったものが海を渡り、あろうことか「世界最大級の遊びの博物館」に展示される。
これはもう単なる思い出として胸の中でしっとりしまっておくには勿体無いし、きっと自分は忘れてしまいそうだ。だから記録しておこうと思う。

内容はツラツラと書いていく内にどんどんと増えていき、
めちゃくちゃ長文になってしまった。
長旅に付き合う様な気分で読んで貰えると嬉しい。

ホテルアンテルームでのきっかけ

旅の道中を語る前にまずはきっかけについて少し。
今回のプロジェクト「ars●bit」との出会いは2024年の夏に遡る。 場所は京都の「ホテル アンテルーム」。そこで開催された「ピクセルアートルーム」という企画で自分は客室のコンセプトルームを造成するアーティストとして参加していた。

時を同じくして、ホテルの1Fエントランスでは「art bit」という、ゲームとアートを地続きで捉えるような展示が行われていた。その取り組みに惹かれた自分は、いつか自分も関われたらいいな〜とぼんやり考えていて、
その後、支配人の豊川さんを通じて自社(HANDSUM)で開発を進めていた『MotionRec』をars●bitの方々に紹介する機会をいただいた。

それは単なるきっかけにすぎないけど、そこから今回のニューヨーク展示へと結びついたのは、タイミング良くMotionRecがBitSummit Driftでゲームデザイン最優秀賞にノミネートされるなど、作品そのものの地力を評価してもらえたことが大きかったのだと思う。

本当人生は何が起こるかわからない。
きっかけを繋いでくれたアンテルームという場所、そして豊川さんに深く感謝したい。

そして遊びのコアを作ったメインクリエイターのShoma氏、MotionRecの世界を広げる音を作ったkyoheifjita氏の両者の才能がスパークしたおかげというのば言うまでもない。

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Diary2025/11/08M7-REF:note-nffe698b75516

2025年11月8日

人間が人間らしくいるためにはとかそんな大層な疑問はザックのリュックの底に突っ込んだまま、相変わらず自分が敷いたハードルを飛び越えようと股関節を痛めてる。
MotionRecも無事世に出た。書きたいことや思いは色々あるのだけど、今だ自分は尾根伝いに登山をしていて下山の文字は遠く彼方に浮かんでるような気持ちだ。

両手で斜面の土を握るとき、これは自分のためなのか周りのためなのか時折分からなくなるときもある、孤独について考える時、社会と自分の距離を考えるには自分の声だけに耳を傾けるのではなく社会のノイズについても耳を傾けるのが良いらしい。自分は大抵引きづられがちだけど。

多分それは自己満と共感の違いなのかもしれない。人と心を動かす何かを分かち合うというのは答え合わせをしあう様な関係ではなく、同じ方角を向いてそれぞれの頭の中で小さなスペースを育てられる様な関係性、そんな距離感がちょうど良いんじゃないかと思う。

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2025年10月12日

池袋PARCOの浮世東京のポスターを見てタカセの喫茶店でサバランとアイスコーヒーを頼んで目が覚めた。

Notionを漁ってると先月参加したシブヤピクセルアートのトークセッション“映画「ファイナルリクエスト」が出来るまで”の本番に向けて前もって備えていた質問の回答とかがまとめてあって、
ああ、これはこのまま電子の束の中に眠らせてくおくのは勿体無い。
この時の自分はこんな事考えてたんだという忘備録代わりに載せておく。

☕️

制作に参加した経緯を教えてください。また、参加した時の作品の印象はどのようでしたか?

日下さんと出会ったのは2016年頃にたかくらくん(たかくらかずき)が主催したピクセルアウトという展示でお会いした。
その時の展示もファイナルリクエストだった。なのでその時の感想を言うと、ファミコンの色数制限に絞ったグラフィックを描かれているだけでなく漫画という媒体で物語を作られていて純粋にすごいなと。。今でこそメタ的な視点の物語は多いけど、当時はまだUndertaleみたいなゲームもまだ日本で知られていない状態だったと思うので斬新だったと思う。
(また、当時制作したPulseFighterのMVをハードの再現性の視点で褒めて頂けてとても嬉しかった記憶)

映画内に出てくる「プログラム領域」のデザインについて、
一般的なプログラムのコードや具体的な物理空間のイメージを
どのように取り込んでデザインしたのか?

プログラム的な世界観に関しては元々自分は昔バグをテーマにしたゲーム(BUGTORNICA)を出していたことがあって、そのゲームは主人公の視界がバグって世界を構成する要素が記号や数字の羅列に見えるという内容だった。
ファミコンなど古いゲームの作り方でマップチップやタイルを並べて大きな絵を作る手法があってそういった世界観がその作品の根底にはあったので日下さんからプログラム領域のブロックというオーダーを頂いた時はすぐにイメージを理解できた気がする。
デザインの方は当時のメール(※実制作はコロナ下の2021年頃)を見返してみると古代文字をベースに機械やSF感の要素を足して○△◻︎のシンプルな図形(このあたりは私は真吾の影響もあるのですが)をイメージして打った形です。

ドット絵の表現が多様化する中で、『ファイナルリクエスト』のドット絵表現はどういった位置づけや意味を持つと考えますか?

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Diary2025/08/23M7-REF:note-n9e37e4dd3f82

2025年8月23日

「スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険」

以前Xで南村杞憂さんのポストでこの本のことを知り、最近は寝る前に少しずつ読み進めている。

まだ半分くらいまでしか読んでないけど、
・孤独(自分との会話ができる空間、時間)の必要性
・寂しさ(SNSなど人の多い場で繋がる事で感じる孤独)の危うさ
・創作を通じ内なる他者を育てること
そのあたりのことがワシャーと入ってきて頭の中がわーっとなってる。

携帯でネットする時代だったらまだ孤独の世界だったのにね。
昔は良かったみたいな事は言わないけど、
今は人の心が他人の手のひらの上で、満たされない渇きを延々と与え続けられている様な時代だなと思う。自分はその飢えに抗いながら墓標の前に立ち冷たい土の中に埋まったもう1人の自分をスコップで掘り返している。

フィリンピンに住むとある困窮邦人の人生を追ったドキュメンタリー。老齢に差し掛かった当人の恵まれた人間関係、そこには金銭や地位とはまた別の豊かさを感じる。
そこには実年齢より老け込んだ母と反対に若々しさがある父、社会とのコミュニケーションの有無によって生まれたであろう対比を思い出したりもする。

避けられない老いを将来自分はどのように受け止めるのだろう。
少なくとも内側と外側、両翼のコミュニケーションをうまくとって豊かでありたいと思う。

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Diary2025/07/16M7-REF:note-n1d2a0d831d3a

2025年7月16日

AIってなんだろうね。AIってすごいね。でも、すごいってなんだろうね。すごいとそれが何になるんだろうね。一体なんだろうね。

多分だけど、そんな時代になってくると思う。

すごさが均一になって当たり前になる未来。すごさが記号になる未来、その先に何が残るんだろう。

この間縁があってGoogleのGeminiを用いたクリエイティブの講習会に参加した。
大半の人はディレクター的目線(どういう空間で何がどう起こるか)に対し自分はひたすらディテールに凝っていた。
生成結果は前者はうまくいくけど後者はうまくいかない(感覚的なプロンプトは解釈結果が多岐にわたるし求める答えにも好みが反映されるからかも)。

Geminiまんじゅう

例えるならば皿の上に乗った豆腐を爆発させたり宇宙空間に飛ばしたり喋らすることは簡単だけど、豆腐をドット絵表現としてピクセルアーティストを唸らせる様なディテールで描くことはまだ難しい。

AIは何かを起こすことは得意でも、存在を形にするのは難しいんじゃないかと思う。存在しているように見せることは出来るけど、存在させることは出来ない。

存在ってなんだろう。多分、自分は、考えて間違えてそれでもまた考えて生きる、迷ったり遠回りしたりするそんな手垢のついた軌跡が存在としての輪郭を持つのではないだろうかと思う。

人間全体の共通認識としての正しさより、自分が受け取って組み合わせて考えて解釈した正しさに価値が生まれる。
それはきっとどこか信仰めいたような、まるで宗教の教えを作るような形に近い。

ネットにはこれから益々「〜のようなもの」が溢れて人の痕跡は見えなくなるだろうし、
そんな虚構に満ちていく世界の中で「信じる」という行為自体に意味がある世界がやってくる。のかもしれない。

いや、言い切るか?…来るぞ!


***

おまけ
Geminiと深夜トークして作ってもらったpongゲーム

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Diary2025/07/12M7-REF:note-nc034956f6a54

2025年7月12日

ここ数年はAirPods Proを耳に差し込むと右側からザーッという滝の音が聞こえる。運が良ければ止まる。最近は雑音の隙間から「タスケテ~」ってガラガラに萎れた男の声が聞こえる。ごめんな〜助けられないんだ。って頭の中で反芻しながら指で軽くイヤホンをはじく(運が良ければ止まる)。
ノイズキャンセルしたいのにノイズしか入ってこない。

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Diary2025/05/18M7-REF:note-n252e09304a0c

2025年5月18日

5月に入って誕生日を迎え歳をとったわけだけど、ここ最近はずっと自分に対して時間を使う事がまじで無い状態というか、そういう時間を他のタスクを跳ね除けて意識して取らない様にしないといけなくてそれがじわじわとしたストレスになっている気がする。

「やりたいこと」と言っても色々あって、例えばそれはストレスの解消だったり享楽的な行動もあれば自分の引き出しを増やすインプット的な未来に繋げる行動もあるけど、その中でも登山のように過程が”重たい”やりたいことがある。それが自分にとってはGriptureのようなゲーム開発だったり、自分だけの感覚に向き合ったイラストだったりするのだけど、そういう時に未だに自分は「他人を犠牲にしてまで自分を優先していいのか」と感じてしまう。
捉え方の角度を変えればまったく問題では無いはずだけど、自分の性格として骨身に染みているんだと思う。
本当にもうどうすればこの性格を矯正できるか分からないので新聞のお悩み相談にでも投書すべきなのかもしれない。

だからええと、そういう部分は全然出来てないんだけど人生はそこそこまあちゃんと楽しんでる。
Y2Kぬい展でVJをしにきた際に三河島のネパール料理屋で食べた事のない料理にトライしてみたり突如大阪万博に1泊2日で行ったりタイフェスでヤードムを買い漁ったり友達と高田馬場でミャンマー料理を嗜んだり。なかなかグローバルな体験をしてる。
大阪万博も来場が増えているみたいで今のタイミングで行けて良かった。null2の臨死体験、アオと夜の虹のパレードの迫力、オマーン王国のコーヒと焼き菓子の味とか、コモンズエリアの多様な文化とか今でも舌の裏に残っている感じ。

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