2025年3月31日

人生って何があるか分からないけど、まあ必ず訪れるだろうなということもあって。つまりそれは母親が高齢になって倒れて入院したという話と実家の掃除の話。
うちの家はかなーり特殊でそれは主に母の特殊な性格からくるものだったんだけど、昔はいろいろと社会の常識が外と中の世界でかなり違っていて幼い頃はその外の社会に接するのにかなり苦労した。
その一例を挙げるならば、うちの実家はいつ使うかも分からない紙やビニール袋、服、食器、手紙や書類など、いわゆる”モノ”が至る所に溢れたモノ屋敷だ。
これは自分が実家にいた頃から悩まされていたことだったけど、久しぶりに足を踏み入れた実家の居間がまるで動物の巣のようになっているのを見て、状況は自分たち兄弟が家を出てから更に酷くなったのだと思った。
今までその事については(本当に)気が狂うほど説得をしてきたけど、本人に片づける意思が無い以上、そして家を出た自分には直接の影響はないので「自分のテリトリーの中で好き勝手にやるのは本人の人生だし自由にしてくれ」という気持ちだった。
しかし母が倒れ、そして以前とは同じ生活を送れなくなる可能性が高くなった今、残酷な話だけど終わりを意識しなくてはならなくなった以上、残される者は家に残された"モノ"について向き合わなくてはならなくなった。
本音を言えば正直自分でやれよと思うのだが、これは同じく高齢(だけど「分からねえ」と言いながら電子決済を使いこなすバリバリ元気な)父親のこともあるし、親孝行の気持ちもあり弟と共に向き合う事にした。
ちなみに弟は母親が倒れたときにいち早く実家に向かってくれたしその後の状況整理や対応にあたるべきことを先導して行なってくれている。つまりバリバリ頭の回転が早くて出来る人間で自分は頭が上がらないことも付記しておく。
色々長くなったけど、今、自分は生まれてから何十年も禁忌とされていた、長年触れたくても触れられなかった「モノの地層」、実家の積み重なった記憶に手を入れている。
正直その作業が結構心にクる。土埃に塗れたモノの地層の中に遠の記憶の彼方に捨て去ったはずの幼い頃に触れていた数少ないおもちゃとかが出てきたり、覚えたつもりのないちょっと変わったデザインの鉛筆が出てきたりする。それらが心の深淵に釣り針を引っかけ、当時の記憶を強引に引きずり出す。

…はあ、なんとか世間に追いついて人並みに生きるのに精一杯だったな。胸が締め付けられる。
当時はそういった「外と中との違い」でいじめを受けることもあった。けど、後々対等となる努力を行うと別に彼らは特別な悪意はなくてただそれが面白くて、無邪気な娯楽みたいに行なっていたんだなって気づいた。
自分たちと違う事を区別していただけ。未知でよく分からない対象を自らの主観したドラマの中で適役な役柄に当て嵌めていただけなんだって思う。お陰で人は状況によって簡単に善にも悪にもなるという感覚を幼い頃から肌で覚えた気がする。
片付けを進めていくと、両親の自分たちが生まれる前の若い写真を初めて見ることが出来た。父親はパーマをかけて厳つい姿をしていて、母親はびっくりするくらい美人だった。
人の人生って生き方ってどう後年に影響を与えるのだろう。母親より年上の父は今も若々しく、逆に父親より年下の母は実年齢より老け込んでしまったように思える。
その生き方を形成する影響に自分や弟の双子としての存在があったとしたら申し訳ないとも思う、…思うけど、生まれたくて生まれた訳ではないのでしょうがない。生まれてしまった以上、命を正しく使って生きたいだけで、今は子として母の存在に向き合うだけだ。
最近ふと、道徳の授業って何やかんやそんなに言われてる以上悪くなかったよな〜と思うことがあって、どんなことを習ったっけ?と文科省のページを見返してみた事があった。
節度、節制、自律、責任、そして自由について書いてあって、大人になった今でもそれは新鮮でもう一度学び直した方がいいのではないかと感じた
たとえば好きな時間に寝たり起きたり、身なりにも気を使わず、適当な食べ物を食べて過ごしたりする、一日中好き勝手に自由に生きる…でもその好きなことって本当にこの世界に生まれてきてやりたいこと??って思ってしまう。
節度や自律や責任って不自由に見えるかもしれない。けど、それを無視して好き勝手に生きる自由は世の中に用意された欲求や刺激を選ばされているだけの状態であって、本質的には自由じゃない。
自分にはその消費が絶望に見えて、自分が理想のために向き合わなくてはいけない問題や課題から目を背け、心の隙間を埋めている状態なんじゃないかと感じる。
だから節度や自律や責任を自分で持つ事は自分の人生をコントロールして自由を得るための大事な手段だと思う。
母の場合はどうだろう?正直、少なくとも責任は持ってないな…。
日に日に意識がはっきりして、入院当初のしおらしさは消え、普段と変わらずの傍若無人ぶりを取り戻す母の姿を見て、良いのか悪いのか(まあ健康になるのはいいんだけど)、複雑な気持ちになる。