ランチセットについていた杏仁豆腐の切り方がキャビネット図で描かれていた立方体だった。

キャビネット図で描かれた立方体の杏仁豆腐

どうやって切ったんだろう。
大変じゃないのかな。

配膳猫の隙間をすり抜け厨房の扉を引いて開ける。
引いて開けるのは向こうに人がいるからかもしれないからで、自分はつまり、そういった他者にも気を使える人間だってことを改めてお伝えしたい。

生い茂る樹木。低下層に茂るシダ植物の逞しさ、今日1日を吸い込みくたびれた夜の油条を噛み締めるように、12年前のアルバムに映るのは変わらず飯の写真という呪いにも負けず、プレステ5のデジタルエディションを求めアフター5の街を彷徨う。

「オレはこれまでに関わった人すべてに幸せになってほしい」1人バイクを走らせながら呟くゲンさんの姿をスクリーンショットに保存する。本当に自分もそう思う。

解体屋ゲン103巻より

でもそれは無理だよね。何をやってもダメなやつだって…、うん、ゲンさんの言う様に、そう、いるよね。
ただ理想に向かってアクセルをぶん回す姿は人間が1番人間らしい瞬間だと思う。

「人間というものはかわいそうなものです。」
「絵なんてものはやっているときは結構難しいが出来上がったものは大抵アホらしい」
「しかし人はその価値を信じようとする。あんなものを信じなければならぬとは、人間とはかわいそうなものです。」
と、画家の熊谷さんは申す。

酷い言い草だけど、最近までごん詰まって絵を描いてた自分にとっては気持ちが幾分やわらぐ言葉であった。

もちろん自分が作った作品は子供の様に思う気持ちはあるけど過保護にはしたくない。自分という内面から外に出てヤンチャして泥だらけになって帰ってきた姿を見ようものならアホだな〜くらいのひと言放てる位がちょうど良い。

良い絵が描けるのは熟考したコンセプトや方向性、絵に対する技術や知識もあるかもしれないけどそれらを兼ね備えた上で1番明暗を分けるのは、とどのつまり、自分の人生を通して身体に沁み込んだ反射の様なアクションだと思う。

白いキャンバスを前によしやるぞと身構えアレコレ考えて手を動かすのではなく、へっくしとクシャミの1つでもして身体から飛び出たものが1番存在として強いのではないだろうか。

そして自分がその域に達するには、
あとどれ位の冒険が必要なのだろうか。

(閏年で29日に日記書けるなんてレアじゃん!おしまい)