2021年6月13日

色んな物事が滝のように降ってきて、その中でうまくやろうともがけば心に残る熱は線香の先端をほんのりと赤くする程度しか残らない。
残った熱で大きな炎をつけようとしている。同じ道をグルグルと彷徨っているだけなのかもしれない。
そんなんだから、乾いた古いスポンジのような時間で君はもっとその事について考えなくちゃいけないと思うよ。
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“みんな望まれてきて生まれてきたんやで”なんていうハッシュタグがプロモーションで(つまり半強制的に)流れて結構心臓を抉られるような気持ちになった。
そう思うのは自由だけど言葉の伝え方を誤れば刃物に変わる。
“みんな”がそうなんだと。「それが当たり前なんだよ、人間なら。」みたいな。
そうではない、なんとか生きてきたのは自分だけじゃないはずだと思いたい気持ちを残酷に蹴落とす。言った当人だけが気持ち良くなる言葉の使い方。
映画の中身は知らない。映画のメッセージ性とか関係なくて(それがテーマなら尚更よく考えろとは思うけど)それよりただ、そんな言葉を平然と宣伝文句に使える人達の”当たり前”という感覚に絶望しているのだろうか。
色々タフだった少年時代、1つの命の予定のはずが2つで生まれた自分は望まれて生まれてきたのか。気持ちに雨が降ればそんな事を思う。
だからみんなが望まれて生まれてきているなんて思いたくない。
誰かからの望みや理由なんかいらなくて、ただ生まれた。それだけでいい。
理由なんて毎日自分自身で探したほうがいいしそれが1番健全だと思う。
誰かに望まれてつまり必要とされて生きたいなら自分自身で望まれる存在になるように行動しなくちゃいけない。望まれる存在というのは他者に与える事が出来る人間だ。
もう自分の中で過ぎたことだし、今はどうでもいいんだけど記録として書いておく。