遠い異国の映像を見たり。大きな事件の更新記録を見たりしてる。

後者は大きなストレスへの退避行動(輪郭のないストレスに対し過去に起きて記録として整理された恐怖をトレースすることで精神を安定させているらしい)

前者は同じ時間遠く離れた場所でも、人が生きているということを通して自分が生きているという手触りに感じるためなんだ。

自分がこのまま年取って死んだあと何が残るんだろう。とか。そんなことを時々考える。自分が生きる時間はウエハースの一層、歴史の重みで平面でさえもなくなる。
それが嫌っていうか、物悲しさはもちろんあるけど、世界の大きな時の流れから見て、ほんの少しの時間の片隅で生きているであろう自分如きがなんでこんな世界の終わりの様に悩んでるんだろうと。

まあでも世界は自分越しで感知するものであって、つまり自分事と同義であるから仕方がない。

絵を描くときってなんだか自分の、足に鎖をつけて四角い部屋に閉じ込められるような気分になってしまうんだよね。本当は自由なはずなのに。

何が残るなんて分かんないよなって思う。

暗い水面に石を投げ入れてそれが波打つ、
その波は確かに誰かが見るかもしれないけど、少なくとも自分はそれに気づかない。
今は水面に沈んでいく石の感情に思いを馳せるのだと思う。